わたしは、わたしをどこまで侮辱する?


見た目は気にするけど
内面意識から映し出されている立ち居振る舞いは気にしない。



SNSのあの小さな画面の中にいる
‘ わたし ‘ の信じて認識していることから映し出された人間という因子に影響され
外に出れば、メイク、ファッション、体型、パートナーシップの表面ばかりに思考が占領される。



‘ わたし ‘ の信じて認識していることから映し出された人間という因子を見て比べては落ち込んで
‘ わたし ‘ はどう見られているか心配し、承認してもらおうという…
まったく ‘ わたし ‘ の内面意識から映し出される世界の真実を観ようとしないなんて、
なんとも自意識過剰な存在。



ほんとうはこの世界、
‘ わたし ‘ がなにを信じ認識して選択行動しているかが
‘ わたし ‘ の目の前に映し出されるだけなのに。



‘ わたし ‘ の信じていること = 望み
‘ わたし ‘ の思考がどのように認識して選択行動し映し出すのか




この目に見えない内面意識を
‘ わたし ‘ は ‘ わたし ‘ の目で見て確かめたいから
この地球という可視化体験場に存在するのでしょう?



なのに



あの人にこうされた!
あの人にこう思われているのでは?
あの人がこうだからこうに違いない…!



どうしても
やめられない「 被害者意識 」という名の戦争。



‘ わたし ‘ の内面意識で信じ認識していることからの状態が映し出されているのよ…
なんてことは認めてくれないでしょう?



これ、認めることってそんなに恥なことかな?

これ、そんなに頑なに拒否すること?



解ったときには
ほんとうの意味で楽になるのに…
ほんとうの意味で大人の意識になれるのに。



なんで人間は
これまでの旧次元の観点をすんなり認めて楽になろうとしないのだろう…



なんでそんなにまでして
外側に永久犯人探しの旅をするの?



なにがそこまで悔しいのだろう。



なにが人間をそうさせてしまうの…?



その答えは 「 食 」なのだ。



人間がどうしても幸せになれなくて輪廻して輪廻して輪廻しまくって…
さらにほんとうのことが余計に解らなくなってしまったその発端は、



「 食 」なんだよ。



あまりにも爆食が横行しているこの次元で
「 食 」のことをお伝えするのは
ほんとうに勇気がいるね。



「 食 」が「 食欲 」という「 欲意識 」に支配されたものになってしまっている以上、
なにかお伝えすれば
その人間にとってそれが都合が悪ければ悪いほどシャットアウトになり
この ‘ 食の真実 ‘ が伝わらないのだ。



「 食 」だけではない。



‘ 性の真実 ‘
‘ 睡眠の真実 ‘



どうしても「 欲意識 」がセットという違和感。



人間の3大欲求って信じていると思うけど…
ほんとうは「 欲意識 」がセットだったわけではないよ?



みんな、「 欲 」って正直不快じゃないの??



あ〜こんな欲が無かったら、楽になれるのに…

こんな欲を感じなかったら、もっと自分を好きになれるのに…



そんなふうにほんとうに思うことない?

ほんとうのことを知って心地よくなりたくない?

それとも、
その欲にまみれて堕ちた自分が心地いい?



人間は、もう自分が何をやっているのか解らなくなってしまったんだね。



外側に映し出されたことや表面だけに焦点をあてればあてるほど
さらにそこに映し出される自分の闇から永遠に抜け出せなくなるんだよ。



これまでのエセスピリチュアル界の内観ほど無駄なものはない。



すべて人間都合の視点・観点でしかないのだから。



もう、このピラミッド型の次元は完全に終わる。



頂点に立つのは人間(物的)ではないのだよ。



「 SNS宗教 」の布教信者になってしまった人間たちの末路は、
もはや原型をとどめない加工した画面上にしか存在できないあまりにも哀れなゾンビ。



‘ わたしが内面意識で信じて認識し選択行動していることが
見た目のことや終焉するピラミッド思想のステータスばかりならば、



‘ わたし ‘ の目の前には
見た目のことを気にしどうこう言う人間が ‘ わたし ‘ の思考の辻褄どおりに映し出されたり、
‘ わたし ‘ が焦点をあてて憧れている顔、体型の人間が思考のの辻褄どおりに映し出される。



どこに行っても、映し出される。



‘ わたし ‘ の内面意識で信じていることと認識を変えないかぎり
永遠にそれは現れ、苦しむことになるよ。



あの人がすごいんじゃないんだよ!



‘ わたし ‘ こそが



そう信じ
そう認識し
そう映し出しているんだ。



‘ わたし ‘ という尊い存在の認識は
ほんとうにそれでいい?



もう二度とない ‘ わたし ‘ なのだよ。



‘ わたし ‘ という人間が終わるときに気づいても遅いんだ。



鏡に写った ‘ わたし ‘ という姿は

‘ わたし ‘ が ‘ わたし ‘ をどう信じ認識しているかの姿である。




真実の美しい ‘ わたし ‘ がうつる

そんな世界を観ようよ。




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