‘ すべてはわたしだ ‘ ということに気づきたくないから、人間なんだ

外側の目に見える世界が真実だと認識させ、
拡大させていったものが「 心理学 」。



誰も信じたくないのかもしれませんが、



学べば学ぶほど
人間の根本原因となる不安や恐れからは
開放されないようになっています。



どれだけ心理を学んでも行き着くところは
「 心 」= 人間の陰と陽の念の理。



人間の視点・観点で人間都合に解釈された理を
ただ知ることだけができるツールに過ぎないのです。



相手を見て
どのような心理状態なのか
分析しているようで実は、



それを観ている自分、
その状況をつくっている自分を分析することが
さらに奥の次元を観る「 シンリ 」。



そこに、完全に相手なんていない。



心理を学んだカウンセラーは
よくクライアントの方の心の状態を観るために
体の動き・しぐさ、話の内容・状況を観察して、



「 あ、今こういう心理なのだ 、わたしも共感できる、わたしもこういうふうに解決した、わたしの体験を生かしてこの状況を開放するアドバイスを… 」



そうやって奥の奥を探らずに表面分析をし
分かった気になっている者がほとんど。



そのクライアント、すべて ‘ わたし ‘ なんだよ



この地球次元における
同時同量のエネルギーの発生がある、ということも
解っているようで1ミクロンも理解できていない。



カウンセラーが生まれるのと同時に
クライアントが生まれるんです。



独自の心理学を提唱する人間でも、それはまったく同じですよ。



そのカウンセラーの前に現れるクライアントの状態は
そのカウンセラーの少し前の内面意識の状態を映しだしているだけにすぎない。



だからそのカウンセラーの前に現れたクライアントからの悩みを分析すると
そのカウンセラーがどの状態だったのかも、
何が未解決であったのかも
解るということなのです。



そこに霊視や透視をすれば
さらに奥の意識も視えてくる。



だけどね



この霊視・透視すらも
その人間を他人として個人視点・観点で観ているのではないのです。



わたしたちだって今、人間として現象化しているから、
現れた相手の状態・状況を観て、視て、
自分の内面意識で解決できていなかったことを確認し、解決してゆく分析をするのです。



だから、わたしにとって
相手へのジャッジという観点など存在しえない。




人間は皆、自分の外側に映った者を他人だと思って
自己と非自己に分けジャッジしているから
この視点・観点に辿りつけないんだよ?



自分を知るということは



そんな甘いものではない。



だから
人間はこんなにも輪廻転生し続けても気づけないんだ。



自分が意識の範囲を拡げれば拡げるほど



様々な、自分の内包している対極も



認めたくない自分の反対側の有様も



観て、これも自分の陰と陽なのだと認めざるをえないことになるんだよ?



それはそれは強靭な心が必要になってくる。



すぐに他人や何かのせいにして逃げている人間には
到底分からない。



外側に映し出されている状況に
答えなんて一切ないんだよ。



皆、自分の内面意識のいいとこ取りしたって
何も真実には辿りつきはしないよ。



自分の陰陽の半分だけ都合よく認識したって



それは ‘ わたし ‘ の半分なのだ。



まるひとつ創る勇気がない人間ばかり。



人間は壮大な勘違いから
自分を分かった気になってしまっているね。



マスター意識の壮大さは



壮大な自律責任力と壮大な覚悟から成り立つ。



心理を超えた「 シンリ」。



人間にも伝わるといいな。