わたしが観たかった、わたしという世界

わたしが観る世界に ‘ わたし ‘ が存在しないのなら
もうそれはわたしの世界ではない。



‘ わたし ‘ の内面意識という宇宙

‘ わたし ‘ の内面意識がから映し出された地球

‘ わたし ‘ の内面意識が映し出した世界

‘ わたし ‘ の内面意識が映し出したあなた



これまでの次元では
人間は皆すべて反対を向いている。



宇宙という外側(物的)からの ‘ わたし ‘

地球という外側(物的)からの ‘ わたし ‘

世界という外側(物的)からの ‘ わたし ‘

あなたという外側(物的)からの ‘ わたし ‘



こうやって
誰か・なにかという外側(物的)からの ‘ わたし ‘ として存在していると
信じてしまっている。



‘ わたし’ 以外の誰か・なにかの世界で生きていると無条件に信じ
そこからすべてを選択してしまっているのであれば



どれだけ輪廻転生を繰り返そうと
‘ わたし仕様 ‘ の世界は絶対に創造できない。



これからの新しい次元においては
人間がこれまでの世界で信じてきたの努力ほど無駄なものはない。



‘ わたし ‘ にとってどんな不都合なことが起きても
‘ わたし ‘ にとってどんな嫌な人間が現れても



すべて ‘ わたし ‘ の意識内から起きていることとして



‘ わたし ‘ が ‘ わたし ‘ という意識の使い方がどのようであるのか



本気で思考認識 = 分析する努力を、どれだけの人間ができるのだろうか。



‘ わたし ‘ にとって嫌な他人が外側から現れたから排除する、恨む、憎む



これは



‘ わたし ‘ の内面意識を排除する、恨む、憎む



これと同等であると信じることができる?



どうしても外側に映し出されたもの・こと・人間が
‘ わたし ‘ とは別であるという真逆の認識から抜け出せないから



永遠に ‘ わたし ‘ の外側に犯人探しをするから



こんな末期の世界を見ることになったんだよ。



‘ わたし ‘ にとっての
陰側・裏側・苦手な存在と感じるもの・こと・人間が映し出されたのなら



それこそが



‘ わたし ‘ の認めたくなかった
陰側・裏側に隠そうとしていた ‘ わたし ‘ の内面意識の使い方の状態。



地球次元とは、
‘ わたし ‘ という個人の目に見えない意識が
どのようなもの・こと・人間(人間模様)として現象化するのか自らが解るために、
データをとるために体験する世界。




この世界、どうやっても
‘ わたし ‘ の目にすることは ‘ わたし ‘ 以外の誰のせいにもできない。



‘ わたし ‘ 以外の誰かの意見を聞いたんだ、と認識したとしても



それもほんとうは
‘ わたし ‘ が信じ、思考認識して選んだことの辻褄合わせからの誰かという人間が
‘ わたし ‘ が確認できるよう現象化しただけなのだ。



その誰かの声も ‘ わたし ‘ の内面意識から物質化した声。



その時点での ‘ わたし ‘ の内面意識と辻褄が合う人間が
その役割として
ご縁として
現れ映しだされるのだ。



それが答え。



ラジオから聞こえる声のように

SNSに映る映像のように



‘ わたし ‘ の持っているチャンネル(周波数) = 内面意識は
どんな表現 = 現象化になるんだろう

‘ わたし ‘ の持っているチャンネル(周波数) = 内面意識は
どんな物語 = 目に見える世界になるんだろう




‘ わたし ‘ という個は、それが知りたかったんだよ。



‘ わたし ‘ という魂が映し出したかった ‘ わたし ‘ とはなに?



‘ わたし ‘ という魂はなにに気づき、どんな進化を遂げたかった?



‘ わたし ‘ という個は、
‘ わたし ‘ という目に見えない個の意識が



どのような世界を創り出せるのか観たかっただけなんだ。