あたり前のように ‘ わたし ‘ の外側に気をつかいつづける
これまでの次元で女性(女性性)が信じていた常識
どうしても’ わたし ‘ の内面に気づかないでいつづける
これまでの次元で男性(男性性)が信じていた常識
女性(女性性)が男性(男性性)に
気(エネルギー)をつかう(与える)という
本来の役割として真逆の法則を遂行してきた人間たち。
夫婦であれば夫というものに。
カップルであれば彼氏に。
男性側は、
本来のプログラム
女性側の想い(望み)を認識し行動することでエネルギーが循環するという役割を
なかったことにしてしまったね。
この世界で
与える役割側である男性(男性性・思考)は
受け取る役割側の女性(女性性・本音)に成り変わって
この現象界(物質界)を広げてしまったのだ。
女性側は、
夫のため、子どものため、他人のためと
‘ わたし ‘ の内面意識から映し出された外側のもの・こと・人間のために
‘ わたし ‘ の時間である命を犠牲にし(尽くし)
彼という ‘ わたし ‘ の内面意識から映し出した思考の人間から承認を得るために
他人という ‘ わたし ‘ の内面意識から映し出した思考の人間から称賛を得るために
メイクやファッションなどで外側(表面)をカスタマイズ。
‘ わたし ‘ の内側意識である
「 欲意識 」からの条件を抜いたときに出る「 魂からの望み 」は
パンドラの箱へ押しやり
‘ わたし ‘ にではなく
‘ わたし ‘ が映し出した人間に嫌われないようにするための信念をつくり選択し行動…
これまでの次元で信じられている
男性(男性性・思考)という映しや ‘ わたし ‘ 以外という映し出された人間に
色目をつかわなければなにもかも選択できない
そんな枯渇からの映し出しの世界で
皆、納得しているのだろうか?
‘ いま ‘ 、’ わたし ‘ が見る世界は、
目を細め、ほほえみながら、美しい…と
感じられる世界?
「 嫌われたらどうしよう 」
「 女として見てもらえなくなったらどうしよう 」
これこそが女性側にとって、最大の意識トラップ。
この世界の存在側担当である女性(女性性・本音)が
これまで本来の役割を発揮できなかった原因。
物質化するという次元は
相反するエネルギーが同時に同量あってこそ
物質化・現象化できる世界。
だからこそ、
男と女は、人間都合の物的観点から
フィフティフィフティな関係でないといけない?
と間違った認識をしてしまっていたんだよね。
新次元法則
【 存在と現象の法則 】を
人間ひとりひとりに
一から知ってほしい。
※ 詳しくは、セミナー動画をご覧くださいませ^^
女性(女性性・本音)は存在側担当で
喜んで受け取る役割でエネルギーが循環し
男性(男性性・思考)は現象側担当で
喜んで与える役割でエネルギーが循環する
与えることが善であるという
これまでに教えられた人間観点での道徳観は
男性側に通用する観念であり
女性側には適応してはいけないものなのですよ?
男性側には、魂の奥から恥という感覚を認識してもらいたい。
これまで奥の意識からの意味合いに気づこうとしなかったという恥をね。
そもそもが反対の役割になってしまっている
エネルギーが正常に循環しない枯渇映像世界。
男性側が女性側の役割を取って優位な世界を創ったために
男性側が主であると勘違いしたピラミッド型の観念がさまざまなカタチで表現されてしまったがために
器のひろげ方も誤ったね。
男性側(男性性・認識・行動)がひろげるべきだったのは
現象で映しだされる物的領土(権力)ではなく
女性側(女性性・本音)をどこまでも受けとめ叶えるという
ひろくて奥深い器。
女性(女性性)のための器
それが男性(男性性)。
すべてを物的欲出発の観点で捉えるから
なにもかもが引き返せない末期の映し出しになってしまったのだ。
その女性の世界観という意識を知りたい
= その女性の世界に入りたい(意識的)
= その女性とセックスしたい(物的)
セックスの観点も
一から認識し直しだね。
女性側として生まれた意味
男性側として生まれた意味
どうか、このお互いの尊い役割に
人間ひとりひとりが真剣に向き合ってほしい。
これまでの次元のやり方・信じてきたこと
すべて捨てられる?
あっ、と驚くほんとうの意味でのフリーエネルギーの世界
観ようよ!
枯渇の世界を映し出してきた人間次元
