感情に支配され、俯瞰できない人間次元


動物と人間、
地球と人間、



人間は人間のための動物、人間のための地球
と疑うことなく認識し
なにくわぬかおで生きている。



あたり前のように
犬や猫や鳥、さまざまな生物さんたちをお店で買い、飼い慣らし、家族としている。



外にいけば、
人間の子どもたちは
自然に過ごしその場所で役割を全うしている虫たちを虫取り網で捕まえ、カゴに入れ、ケースに入れ観察、そして飼育する。
大人はカブトムシやクワガタを捕まえ、さらには売る。



夏祭りでよく見かける金魚や、ホームセンターで見かけるメダカたちも
人間都合の商売欲により養殖される。



すべて人間のための
人間都合の世界こそが
この地球の常識となってしまっている。



‘ 自然界という映し ‘ である
人間という表層の奥にある次元のものたちを
人間自らが穢し食していることの重大な過ちに人間は気づかぬままなのだ。



人間の内面意識(奥)の霊的役割である自然界のものたちが
怒りのボルテージをあげ
物質次元地球に対し、
「 限界 」をいつ表現されてもおかしくない状況である。



さまざまな場所での自然災害の現象化
動物たちから危害を受ける人間の現象化
魚の謎の大量死の現象化
辻褄が合うようなカタチでの動物性をメインにしたチェーン店の相次ぐ閉店や
動物を扱う市場火災の現象化



それでも諦めずに前へ!

なんて人間都合のスローガンを掲げて突き進んでもね、
もう、どう工夫しても人間都合のこれまでの世界観が再生現象することはないのですよ?



今回は、
自然環境の観点や動物の観点から何も気付いていない人間全般へ警鐘を鳴らすアニメや映画の中で、
目に見えない世界の真実を、人間観点ではありますが、その情景がわかりやすく描かれている作品をご紹介させていただきますね^^

「 映画 ドラえもんとアニマル惑星(プラネット)」

ふしぎなピンクのもやを通って、動物の星にやってきたドラえもんたち。
そこで出会った犬の少年チッポは、古代の遺物を求めて「 禁断の森 」探検を計画していた。
だが、月の悪魔族が攻めてきて・・・!

アマゾンプライムから引用


時代背景は少し古いですが、
物的役割を担う人間界と霊的役割を担う動物界の両世界を描いたとてもステキな作品です^^



外側(表層物的)観点で、人間の感情善悪正義論で観てしまうと
ただの人間への警鐘の作品に観えるかもしれませんが、




これを全体性の意識の観点で観ることができるようになると、
まったく違った作品として映しだされるのですね。



分け隔てない平等な世界とは
いったいどういうことを言うのでしょう。



動物(ほんとうは霊的存在)と人間(物的存在)
地球(人間の認識で映し出されている物的映像側)と人間(意識データを映し出す側)




人間の「 欲意識 」出発からの
なんでも物的に見えてしまう観点から観る世界ではなく



目に見えない次元(奥)から目に見える次元(表層)まで
すべてが重なりつながっていて
人間がこれまで信じ認識している表層観点からでは
なにも真実が観えていなかったんだという



ほんとうの意味で謙虚な立ち位置から
観ることができるようになれるでしょうか?



【 すべて同等 】



わかったつもりの綺麗事ではなく



あのお皿も、あの木も、あの動物も、あの人間も

すべて同等。




‘ わたし ‘ がこれまで信じてきた平等論って
ほんとうに平等でしたか?



人間に内在する12意識のなかで、
人間都合に使われるようになってしまった「 リラ意識 」が
‘ わたし ‘ が「 アルタイル意識 」と「 シリウス意識 」を使えるようになり
「 ONE 」という新次元にひっくり返さぬよう
「 欲の意識 」をエサにして
‘ わたし ‘ の内面意識をいつも支配していたのだということに
もう気づいていかないといけないのです。



これまでお伝えしている宇宙種族意識は、
ヒューマノイドで考えていてはまったく真実は観えません。



〇〇意識の人はいいな〜なんて物質的に外側で捉えているようでは、
外側に映し出されたなにかと比べ、誰かやなにかのせいにしている ‘ わたし ‘ からは
いつまで経っても解放されません。



‘ わたし ‘ にとって都合が悪い事象が映ったとき、
即座に〇〇さえいなければ〜!!〇〇は消えればいい!!と
「 欲の意識 」エサにした「 リラ意識 」指令のもと感情に支配され、
‘ わたし ‘ の外側に映し出されたもの・こと・人間に
怒り, 恨み, 妬み , 責任転嫁を繰り返しているのであれば、
「 全体性を俯瞰する意識のアルタイル意識 」「 多角的奥から表への視点,観点のシリウス意識 」
いつまで経っても、使いこなせるようにはなりません。



もう、すべて外側責任転嫁の人間次元は終わりにしませんか?



‘ わたし ‘ が映し出した外側への怒りや恨み , 妬みを
心のなかで隠し思おうが
SNSで外側に正当化してどう論破しようが



‘ わたし ‘ の内面意識を誤魔化すことはできないのですね。



すべては ‘ わたし ‘ の目の前に
‘ わたし ‘ の思考認識どおりのことが映し出されつづけるんですよ?



‘ わたし ‘ の内面意識の「 欲の意識 」をエサにした「 リラ意識 」を抑え
すべてが人間都合出発であったことを認めようとするのか

これまでどおり「 欲の意識 」をエサにした「 リラ意識 」を暴走させ
全体性出発にするということに聞く耳を持たないようにするのか



人間という ‘ わたし ‘ が
進化するのかどうかの分かれミチになるのです。



‘ わたし ‘ の内面意識の「 リラ意識 」が解らず発動し暴走しているとき
(この意識を色濃く持っている色濃く持っていないは関係ありません)
‘ わたし ‘ は、これまでの人間都合をやめ新しい法則を解ろうとするという意識を
どうしても押さえ込もうとします。



そして、
難しいんだよね…
よく解らないんだよね…
‘ わたし ‘ の世界観には役に立たないんだよね…
大いなるものは ‘ わたし ‘ を見守ってくれているから…
などと



次から次へと言い訳を並べはじめ、
‘ わたし ‘ はなにも悪くない!
コレは ‘ わたし ‘ のせいではない!
‘ わたし ‘ は攻撃されている!見下されている!と、
‘ わたし ‘ が映し出した外側に加害者というものをつくりはじめるのです。



‘ わたし ‘ はここで踏ん張ることができますか?



‘ わたし ‘ の内面意識をひっくり返し
新次元の映しに変えるとは
どういうことなのか?
どう実践するのか?



この重大な詳しいお話は、次のSINRIセミナーで^^