人間の欲深さはどこまで続くのだろう。
健やかなカラダで動けること
食事ができること
‘ わたし ‘ という個を知ることができること
考え選択する自由意思が与えられていること
この地球次元における現象化担当として存在している人間にしかできないこと。
最大限の表現をしたとして
こんなにありがたいことはない。
物質次元であるこの体験場地球において
健やかなカラダで動けるということは
ほんとうは、どれだけでもありがたく
日本次元においては
奪い合うことなく
大概の人間が
好きに食べたい時に食べたいものを食べられるように
映し出されている。
‘ わたし ‘ という意識が、どのようなものなのかということも
‘ わたし ‘ の内面意識から映し出すもの・こと・人間をとおして
知ることができる。
至れり尽くせりなんだね。
なのに
そんなことはあたり前になってしまって
そんなにありがたい次元だということは解らないでいる。
‘ わたし ‘ の「 快楽を追い求める欲 」でしか
物事を捉えることができなくなってしまっている
ということに気づこうとしない。
もっとあれが欲しい
もっともっと食べたい
もっともっともっとあの人のすべてを手に入れたい
もっと、もっと、もっと、もっと・・・
欲、欲、欲、欲、欲!
吐き気がする映し出しだ。
人間観点からの仏教では
六道という言葉がある。
一般的には
死んだ後にいく世界を表現したのが六道と認識されているね。
天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道
これらは生きている間の業による死後の世界を階層で表現したもの
と認識している人間が多いため
根本的に間違ったイマジネーションが伝えられてしまっているけれど、
死んだ(肉体を脱いだ)後の世界に
こんな世界(次元)など存在はしないよ。
これらは、
ほんとうは人間が生きている次元での
人間のそれぞれの意識ステージを表現しているものなのだ。
自分の「 欲からの望み 」がこれらのような地獄世界 = 現実世界を映し出し(現象化させ)
またその「 欲意識からの心残り 」で何度も何度も輪廻転生しているのだ
ということを示しているのだ。
ほんとは
どの次元に生まれ
どのような「 魂からの望み = シナリオ 」で生き
どのように自らの意識ステージをクリアしてゆくのかを
‘ わたし ‘ という魂は
自ら決めてきているんだよ。
最新転写地である日本次元に生まれているということが
どれだけありがたいことだったのか。
人間はもう解らなくなるくらい豊かになっているんだよね。
カラダが辛くて動けなくなったことがあったとしても
その後カラダが回復し動いたとしたら
この物質次元という体験場で
それががどれだけありがたいことなのかも解らなくなってしまう。
そして
そのカラダが辛かったことが解らなくなると同時に
自分の「 物的欲意識 」が
次から次へと噴き出してきて
またそれに支配されてしまうんだ。
それでまた ‘ わたし ‘ の「 魂からの望み 」は
観ないようにしてしまう。
テレビやSNSなどでの大食い、爆食い…
それってね、
公開マスターベーションしてますってことだよ。
満たされることのない「 魂からの望みを観ずにただ生きたい欲 = 性欲 」を
「 食欲 」にすり替え
卑しい「 欲意識 」から貪っているということ。
「 肉くいてぇー!」
なんて言っている人間を見ると
人間の「 欲情意識 」はこんなにもおぞましくなってしまったのかと
心底落胆する。
肉を食べた時の咀嚼する感覚ってね
人間観点でのセックスの快楽とイコールなんだ。
動物を食べれば食べるほど
欲情スイッチが入り、やめられなくなるよ。
人間観点でのセックスをしたくなることと
肉を食べたくなるのは
一緒なのだ。
「 物欲 」も
「 魂からの望みを観ずにただ生きたい欲 = 性欲 」が満たされないという不足感から
すり替えられた欲望である。
あれが欲しい、これが欲しい
ああなりたい、こうなりたい
人間は果たして
どの地獄界に居座る?
なんのために何度も何度も
次元を変えては転生という映し出しをしているのだろう。
餓鬼道と畜生道の次元を行ったり来たりしていることに
まるで気づいていないね。
人間観点の仏教が描く地獄界を別の世界(死後の次元)だと捉えずに
生きている自分が映し出している次元のことなのだと
気付かなければならない。
もうすでに在る ‘ わたし ‘ の「 魂からの望み 」というものを
安易な「 欲意識からの望み 」にすり替えず認識できるようになったなら
必ず、その「 卑しい欲情 」というものは表出しなくなるんだ。
この地獄界から抜け出すことができるようになる。
人間都合のロマンスを抜いて
奥という意識から
‘ わたし ‘ という魂を観る努力をしてごらん。
‘ わたし ‘ が「 欲意識 」に支配されていたことに気がついて
「 魂からの望み 」のミチに切り替え進むことができるようになるならば、
‘ わたし ‘ のミチにはなんでも用意されていたということに
圧倒される日がくるよ。
欲
