「 自信がある 」
「 自信がない 」
なぜ人間は
「 自信 」などという曖昧な人間観点で
自分の評価を決めようとしているのか?
自信がないから?自らを信じるための努力をする?
そもそも ‘ わたし ‘ の「 魂からの望み 」を観て
認識し選択行動もしていない人間ばかりなのに
「 自信 」?
人間が言う「 自信 」 ってなんでしょう?
「 欲意識へのすり替え自信 」でしょうか?
この物的映し出しの次元では、
‘ わたし ‘ という個人が
なにを信じて認識し選び行動するのかが現実となる(現象化する)
それだけの世界です。
「 あなたを信じてる 」
なんていう押し付けロマンスのセリフ。
恐ろしい…。
‘ わたし ‘ は
‘ わたし ‘ という魂から発せられる望みや感覚
を信じるのではなく?
‘ わたし ‘ をすっ飛ばし
‘ わたし ‘ 以外を信じてると?
その時点で
もうなにもかもがアウトですよ。
そんな出発点では
‘ わたし ‘ の魂が想い描く’ わたし ‘ の映し出し世界は
決して観ることができない。
「 あの人が裏切った 」
「 もうあの人が信じられない 」
そんなふうに
‘ わたし ‘ の内面意識状態が映し出された ‘ 相手 ‘ という人間のせいにしてみたり
‘ 相手 ‘ あっての(相手出発の) ‘ わたし ‘ にして自己嫌悪に陥ってみたり。
すべて根底から間違っているんですよ。
‘ わたし ‘ が信じて認識し選択行動した結果が
‘ わたし ‘ 目の前に映し出されただけなんです。
もしも ‘ わたし ‘ が信用した相手に裏切られた〜
などと感じ怒り嘆き悲しむ事象があったのなら
それは
‘ わたし ‘ の思考(男性性)が
‘ わたし ‘ の本音 = 「 魂からの望み 」(女性性)を裏切って
「 欲意識からの望み 」にすり替え、
認識して選択行動した証拠。
‘ わたし ‘ の内面意識世界で
思考(男性性・現象側担当)が
本音(女性性・存在側担当)を
根本的に裏切っているということになるのだから
‘ わたし ‘ という存在が
‘ わたし ‘ の思考の辻褄合わせで表出させた人間から裏切られるという事象が
‘ わたし ‘ の外側に映し出されるのはあたり前のことなのだ。
内面意識世界での状態 = 外側(物質)世界で起こること
である。
この次元のほとんどの人間が
‘ わたし ‘ の本音(女性性)を
‘ わたし ‘ の思考(男性性)で裏切り続けているね。
究極の「 魂からの望み = 本音 」を認識するという
覚悟ある人間がいないから
男性中心社会、物質主義世界が終わらないのだ。
女性が働くことが女性が中心になる世界だと
勘違いしている人間も多すぎる。
この世界の
存在側担当は女性
現象側担当は男性
女性(女性性)側は
「 魂からの望み 」を発し
喜んで受け取ることでエネルギーが循環し
男性(男性性)側は
「 魂からの望み 」を認識叶える行動をし
喜んで真心で与えることでエネルギーが循環する
この【 存在と現象の法則 】を
「 物的欲意識 」を抜いて捉えられる人間が
表出されるといいなと思う。
男性は勘違い知識欲の傲慢筋肉頭の塊で
女性はすり替え常習犯の魔女偽美貌でゾンビ化
ひとりひとりの魂がもつ
本来の魅力なんて
あまりにも放置しすぎて化石状態。
ほんとうの魅力は
すり替えや真似からは決して生まれないよ。
‘ わたし ‘ という魂を
映し出された外側の人間と比べるという
なんの役にも立たない「 欲意識 」、
もう捨ててごらんよ。
「 信じるものは救われる 」
人間界にはそんな言葉もあるが
これは、
‘ わたし ‘ が ‘ わたし ‘ の「 魂からの望み = 本音(女性性)」を
「 欲意識からの望み 」にすり替えることなく思考(男性性)で信じて認識し選択行動できたのなら
‘ わたし ‘ にとって心地よく循環する世界が映し出されるよ
という意味なんだね。
自信があるという愚かな自信
