階段と坂道、わたしが選んでいるのは?

‘ 階段 ‘ という概念、



この世界に存在する意味をご存知でしょうか。



物質化したものすべてにはそれぞれ意味がある。



人間が映し出すこの物質化世界で
それはなにを表しているものなのか、



そう考え
世の中のありとあらゆるものを観察していくと
実はとても面白いよ。



その中で
‘ 階段 ‘ とは?



坂道でもよかったのになぜ階段?



お寺や神社には
必ずと言っていいほど階段が存在する。



階段の形を観てみると
縦と横が順番に並んでいるよね。



この順番には深い意味があるよ。



人間が物質化して赤ちゃんとして生まれ
歩行できるまでを観てみると
寝返りからハイハイ
ハイハイからつかまり立ちをし
そこから歩く(進む)ことができるようになる。



ハイハイという横の姿勢から
つかまり立ちの縦の姿勢になるよ
という物的な観点からの意味合いではなく、



人間は
ひとつひとつ意識のステージをクリアして進化していく際に



必ず次のステージの壁(縦の概念)にぶつかり
その上がったところから実際に地を踏みしめる体験(横の概念)をとおし納得して(クリアして)
また次のステージの壁(縦の概念)にぶつかり
その上がったところから実際に地を踏みしめる体験(横の概念)をとおし納得して(クリアして)
と・・・



こんなふうに
何度も何度もこけそうになりながらも
‘ 魂からの望み = イマジネーションをあげ、認識しては体験をし ‘
をとおして納得していくんだ
ということを示しているんだね。



どんな人間でも
最初からすっ飛ばして得られるものなど
この物質世界の概念にはない。



考えるということから逃げずに
体験して納得することで



決してなんとなくではない
‘ わたし ‘ 以外の誰かの知識から分かったつもりになっただけではない
「 こうやってやればできるんだ 」という
‘ わたし ‘ 自身の体験認識から納得することで



魂が進化していくようできあがっているよ
ということなのだ。



なのに、
この次元の人間はどうだろうか。



自らが自らの内面意識を考察し行動することから
逃げるということを覚えてしまったね。



皆それぞれ
‘ わたし ‘ という尊い ‘ 個 ‘ の特質・特性をもって生まれてきているのに



‘ わたし ‘ 以外の人間の体験から知識を詰め込むことで
進化できた気になってしまっている。



‘ わたし ‘ ならではの特質・特性を観て
‘ わたし ‘ 自身で考え
‘ わたし ‘ 自身で体験をとおし
‘ わたし ‘ の意識のステージをクリアしていくことから



分析は苦手、めんどくさい、つらいと言って
言い訳を探し、逃げてしまっているね。



そんな人間が登っているのは
階段ではなく登り坂。



‘ わたし ‘ の「 魂から上がってくる望み = イマジネーション 」から思考し(縦の概念)
‘ わたし ‘ が地に足をつけ体験して進む(横の概念)
という ‘ 階段 ‘ の概念ではなく



‘ わたし ‘ 以外の人間が体験したステージの都合の良いとこ取りをして
‘ わたし ‘ の足元を観ず(等身大を観ず)理想だけを追いかける
登り坂の概念。



だからね
そんな ‘ わたし ‘ の等身大を観ずに進む登り坂では



‘ わたし ‘ の意識ステージでが解らないから、
なにかあるごとに
いとも簡単に転がり落ちてしまうんだ。



登ったと思ったらまた落ちて
登ったと思ったらまた落ちて・・・
と、グルグル同じところを輪廻しなければならなくなるのは



‘ わたし ‘ のカラダで体験をとおし、納得しないからなんだね。



この地球という体験場(物質次元)は
自らの行動で ‘ わたし ‘ というデータを得られる次元だよ。



ひとつひとつすっ飛ばさずに
解ったつもりにならずに
‘ わたし ‘ 自身で体験する恐れに負けずに
納得しながら進んでいく ‘ 階段 ‘ の概念ならば



‘ わたし ‘ の目の前に次の意識ステージの壁が出てきた時にも
転がって元に戻らずに済む。



一旦立ち止まり、新たな思考で認識選択し、
また ‘ わたし ‘ の体験をとおし納得して進むということができるのだ。



これまでの次元における書籍でもネット検索でも出てこない
人間意識の成り立ちと使いこなし方
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もう転げ落ちて負の輪廻をしないよう
‘ わたし ‘ という意識を根底から観ていこうね。



ちなみに
なぜか忌み嫌われる階段の数「 13 」
悪魔の数字とも言われる「 13 」



これにも深〜い意味がありますが
\ 答えはセミナーで ^^/



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