「 謙虚 」と調べると
控えめでつつましい人柄や態度
などの意味がでてきます。
人間観点での謙虚は、人間同士の中で生まれる人間都合の見解なのです。
ここで少し宗教的なお話になりますが、
アニミズムと言われる自然信仰だった日本の神道では
すべてのものに神が宿るという考えでした。
自然にあるものを神聖視し神社に祀ったり
自然物以外でも、神が宿るものとして三種の神器で表現する
なんてこともしています。
人間は ‘ 神 ‘ のイメージをすべてヒューマノイドに捉え、
‘ イザナギやイザナミのような人物が日本を生んだ ‘
そんな物語を生み出したんですよね。
その延長線上でそのまま天皇という存在をも生み出し、
それが神の表現として崇められることとなり、
日本は大きな意味での宗教の国となったのですよ。
現代においてその他でも、
バージョンは違えど、アーティストを神化しそのファンになったりするなど
やっていることの根っこは同じ。
これまで当たり前だと疑ってもみていない「 会社 」というスタイルだって、この思考からの派生。
ここで話を戻し繋げてゆきますが、
だからね、今のこの人間の思考バージョンで「 ほんものの謙虚 」というものが存在するのかというと
無いに等しいのです。
なぜか?
それは万物に対等であるという出発点が皆無だから。
(人間の念で映し出された存在は除く)
あの人は社長なのにとても腰が低くて謙虚だ
いつもあの人はみんなに平等に接していて謙虚だ
こんなふうに、人間が思う「 謙虚 」とは、
すべて「 人間に対してのこと 」を基準にしているのです。
人間は人間を中心に勝手に上下 , 優劣をつくりだしたからね。
神の観点からすれば、
人間に焦点を当て、我欲から謙虚を捉え、その概念で謙虚を振舞っている者ほど傲慢なものはない
人間以外の生き物やその他物質を人間と同等に扱う概念が分からず、我欲から人間の栄養のために動物を殺す矛盾が考えられない低レベルすぎる知脳
人間が中心となって生き残ることを善とし、我欲にまみれ、いつまで経ってもエネルギーの全体性から捉えることができない次元の低さ
もしも、エネルギーをエネルギーとして捉えることができるのなら
ここまで物質的に発展したのは
物質開発をしてきた先人たちという人間のおかげではなく
戦争を乗り越え生き抜いてきた先人たちという人間のおかげでもなく
人間以外を選んだエネルギー体たちが
宇宙の構成材料として、地球次元で成り立つ物として、土台となってくれているからに他ならないということが分かるはずなのだ。
その土台の概念も分からないまま、
自分の目に見えている人間だけに謙虚に振舞ったところで
それはただの我欲からのエンターテイメントである。
今使っているテーブルも、椅子も、床も、道路のアスファルトだって、
すべての元は全体性からのエネルギーでもあり、
意識レベルごとにそれぞれの構成材料となった元人間たちでもあるのです。
お掃除一つとったって、
見えるところだけ拭いたつもりのガサツ行動
もはや汚れていることも気にならないガサツ精神
ガサツなことを正当化する集団に紛れて何も考えられないガサツ意識
目に見えているところが自分という人間にとって都合がよければそれで良し!
その派生で、
人間の動けるという観点での健康のために、動物や菌類を食して生きて何が悪い!?
そんなガサツな生き様の人間ばかりなんじゃないですか?
ほんものの謙虚は、
人間以外の万物に対しても、目に見えないエネルギーに対しても、人間と対等に扱うことができるかどうか。
低次元のガサツな意識の人間は神から最も嫌われるのです。
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